2009年03月24日

歌劇「魔笛」K620より「夜の女王のアリア」



映画「アマデウス」でも効果的に用いられた「魔笛」から「夜の女王のアリア」です。お聞き頂ければ分かると思いますが、高音域のコロラトゥーラが多用されるかなりの難曲です。

実は「夜の女王のアリア」と言えば2曲あるのですが、有名なのはこっち。と言っても両方難しいので、実際、「魔笛」で夜の女王ができる人はかなり限定されるのでしょうね。

その難曲に挑んだのがアメリカの名ソプラノ、もとい、迷ソプラノのであるフローレンス・フォスター・ジェンキンス。実は彼女は不世出のソプラノとも、都市伝説とも言われ、とにかくその存在自体が奇妙なのです。ウィキペディアよりご紹介させて頂きます。

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彼女の演奏したレコードを聴くと、ジェンキンスは音程とリズムに関する感性が殆ど無く、極めて限られた声域しか持たず、一音たりとも持続的に発声できないこと、伴奏者が彼女の歌うテンポの変化と拍節の間違いを補って追随しているのがわかる。にもかかわらず、彼女はその型破りな歌いぶりで大変な人気を博した。聴衆が愛したのは音楽的能力ではなく、彼女の提供した楽しみであった。音楽批評家たちは、しばしば彼女の演奏を皮肉まじりに説明し、それがかえって大衆の好奇心を煽る結果となった。

音楽的才能が全く無かったにも関わらず、ジェンキンスは自分が偉大な音楽家だと固く信じていた。彼女は自分を名高いソプラノ歌手フリーダ・ヘンペルやルイーザ・テトラツィーニに比肩しうると考え、自分の演奏中にしばしば聴衆が笑い出すのを、ライバルが職業的な競争心からやらせているのだと思い込んだ。しかし、彼女は批判に気付いており、「皆さん私が歌えないとおっしゃいますが、私が歌わなかったといった人はいませんわ」などと述べた。

聴衆はもっと多く出演を望んだが、ジェンキンスは少数の気に入った会場でたまにしか演じないようにしていた。そして、彼女はニューヨーク市のリッツ・カールトンホテルの舞踏会場で年ごとのリサイタルを開いた。彼女のリサイタルに出席できたのは、彼女の忠実なファンクラブの婦人とその他特に選ばれた人々だけであった。彼女は羨望の種であった切符を自ら配布していたのである。1944年10月25日、76歳の彼女はついに公衆の希望に応じてカーネギー・ホールの舞台に立った。演奏の期待が高かったため切符は公演の何週間も前に売り切れた。ジェンキンスが亡くなったのはその1ヵ月後のことである。 ジェンキンスの32年のキャリアは、大衆むけの手の込んだジョークであるという説がある一方、彼女はカーネギー・ホールでの演奏を批評家から物笑いの種にされたために死んだのだという、これと対立する説もある。しかしながら、どちらの説にも殆ど証拠は無い。あらゆる状況から、フローレンス・フォスター・ジェンキンスは彼女の芸術家生活全体に満ちた充実感を確信して、幸せに亡くなったことがうかがわれる。

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かなりシュールな存在ですね。もう二度と現れない。ちなみに以下は普通のバージョンです。耳直しにどうぞ。









posted by Q at 17:53| Comment(1) | 歌劇・声楽曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ジェンキンスさん。。。
ある意味凄い存在かも。。。
Posted by ゆかり at 2009年03月25日 07:32
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